ポケットを探っても、カバンの中をひっくり返しても、あるはずの鍵が見つからない。あの時の、心臓が冷たくなるような感覚を私は今でも鮮明に覚えています。それはありふれた平日の夜でした。仕事で少し疲れて帰宅し、マンションの玄関ドアの前でいつものように鍵を取り出そうとした時、その異変に気づいたのです。最初はどこかに入れ忘れたのだろうと軽く考えていました。しかし、考えられる場所を全て探しても、あの小さな金属の塊は見つかりません。会社に忘れたのかもしれない、いや、途中のどこかで落としたのかもしれない。様々な可能性が頭をよぎり、焦りと不安で冷や汗が流れました。スマートフォンで必死に「鍵開け業者」を検索し、電話をかけると、三十分ほどで作業員の方が来てくれることになりました。待っている間の時間は永遠のように長く感じられ、自分の家を目の前にして入れないという状況が、これほど心細いものだとは思いもしませんでした。結局、その日は鍵の専門業者を呼んで、数万円の痛い出費で家に入ることができました。この一件以来、私は錠前というものに対する意識が大きく変わりました。それまでは、ただのドアを開け閉めするための道具としか思っていませんでした。しかし、あの一晩、自分の家に入れないという心細さを経験し、錠前が私と社会とを隔て、プライベートな安息の空間を守ってくれている、かけがえのない存在なのだと痛感したのです。鍵一本、錠前一つが、これほどまでに私の日常の基盤を支えていたのかと。今では、出かける前の鍵の確認は欠かさず行いますし、スマートタグを付けて位置が分かるように工夫もしています。あの苦い経験は、当たり前だと思っていた日常の安全が、実は小さな錠前によって守られているという事実を教えてくれた、忘れられない教訓となっています。
鍵をなくしたあの日錠前の大切さを知る